発達障害だったわたしへ

自閉症と虐待サバイバー/光はまだ、こそばゆいけれど……書いて見つめて生きていく/元全国紙記者/半分未練、半分隠居なう

わたしにとって「書く」ということとブレンドコーヒー

 

あこがれの背中を追いかけていたかった頃

わたしは、お金持ちよりも、うまい文章がかける人というのに、すごくあこがれます。

小説家とよばれる方の、その言葉や切り取る場面のチョイスひとつとっても、どこか文化的、文学的な香りをはなつ文章に出くわすと、もしもピアノが弾けたなら……みたいなうっとりとした気持ちにさせられますね。

また、5・7・5のたった17音に、その人の感性がぎゅっとつまっているのを目にした日には、わたしはツイッターという140文字の吟遊詩人まがいの遊びをたまにするのですが、うんこみたいな無駄な言葉を投げてすっきりしている自分の胸に、思わず手をあてたくなってしまいます。

わたしは全国紙の新聞社に10年弱勤めたことがあるのですが、新聞記者を目指したのは、早稲田大学に入ってジャーナリズムを専攻するくらい、超まじめで意識高い系ゆえの強い情熱もあったんでしょうけど、もっとも大きかったのは、あこがれる文章を書ける「人」そのものへのあこがれだったと、振り返ってみて思います。

新聞社にいたころ、よく就職活動中の大学生や取材先から「どうして新聞記者を目指されるようになったんですか?きっかけはなんだったんですか?」と面接官のような質問をされることが多かったのですが、あまりぴんとこなかった。

面接に受かるためのパーフェクトな志望動機ストーリーなら、意識高い系だったゆえにその手のものはいくらでもひねりだせたわけだけど、突き詰めればわたしにとっては、その新聞社に、その「人」がいる。だからわたしはその「人」の近くで、その人の背中を追いかけたい、というとても純粋で、しかしこれを誰かに言ったらおしまいな、じつにエゴイスティックな欲望であることを理解していた。

「うまい」はどこにも存在しなかった

13年間というわずかな期間ではありましたが、記者の仕事をしたり、編集にもかかわったりしたので、それなりにたくさんの原稿を書いてきたし、人の書いた原稿も読んできたりしたほうかとは思います。

そのなかでわたしが井の中の蛙であることに気づいたのは、自分のように文章というのにさほどこだわりを持っていなくても、新聞記者をやってる人も少なくないということでした。取材は全然苦じゃないのに、書くのは大嫌いだという意外な記者もいました。

記者であればやはり、現場の最前線に立っていることにもっとも使命感が駆り立たれるという人、社会的影響力のある仕事だからこそという人、名刺一枚で総理大臣からホームレスまで会える仕事が魅力だという人、読者からの反響が大きかったとき達成感を感じるからという人もいます。出世というダイナミズムにモチベーションを発揮される人もいます。

それからわたしは、某公共放送の記者を経験する機会もあったのですが、もっともカルチャーショックだったのは、テレビ報道の世界では、一文字一文字への重みのへったくれは、「迅速な情報処理能力」に比べたら、比重的にはないに等しい存在だとわたしには感じられました。

元解説委員の池上彰さんをロールモデルにしているのかは定かではありませんが、テレビの記者たちは「わかりやすーく」伝える存在になることに、特にしのぎを削っているように、わたしには映りました。それは発信者として、とてもいい勉強になりました。

同時に、「わかりやすい存在」になるということは、視聴者にとって言葉どおり分かりやすく伝える行為だけにとどまらず、人間的にも「親しみやすさ」をも同時にそなえていなければなりません。そこらへんの自己像をトータルで律することにかけての彼らのエキセントリックぶりは、わずかでもそこにいた自分が言うのもおかしいけれど、彼らは記者であること以上にプロフェッショナルでした。

そんな彼らたちにとってわたしは、公私ともに常にボロをまきちらしながら歩いているようなしまりのない存在に、さぞ見えていたんだろうなあ、なんていう新たな視点を得ることができました。

ようするに、ところ変われば、誰がデキる人で、デキない人かなんて変わっていくし、重きを置く価値も変わっていくということです。そんなこんなな13年間を記者として過ごしながら、当初もっていた「うまい」文章へのあこがれや、こだわりなんていうものは、はじめから存在しているようでしていないものだと思うようになっていったのです。

だからわたしは書いていく

なんでそんなことを書こうかと思ったかというと、前回このブログに、「このハゲーーーーーー!」で秘書を暴行して話題になった豊田議員が、かつて狂ってたときの自分そっくりだったということを書いた(浅瀬でさえわめきながら溺れる人間……それはわたし自身だった - 発達障害だったわたしへ)ところ、当時のわたしを知るある人から電話がかかってきたんです。その声の主は、かつてわたしが追いかけていた「あこがれの背中の人」のひとりでした。

「たまたま別の検索してたら、このブログがひっかかってきて」なんていう水臭い、どうせわたしのことをネットストーキングかなんかしてたんでしょってことばればれな久しぶりのあいさつがてら、次のような感想を伝えられました。

「自分はあのときの君を知っているから、君の言わんとすることがわかるけど、客観性を伝える文章としては、まだまだ言葉が足りないね」

声の主が言いたいことをかいつまむと、正直、眠かったのとよくわからなかったのとで途中で寝落ちてしまったのですが、豊田議員の反社会性的な部分にも、もっと分析と言及が必要だったね、みたいなむにゃむにゃ……(ちがってたらごめんなさい)。

いずれにしても翌朝、目覚めて思ったんです。だからわたしは書いていこうと。きっといまここに抽出されている文字も、深煎りしすぎて焼け焦げちゃったような「あこがれの背中の人」たちとの直接的、間接的な出会いや、そうでもない人からの雑味などなどから配合された、わたしというブレンドコーヒーのフィルターから、滴ってきているんだと思います。それは、苦味と酸味のバランスが悪くて、とんちんかんなくらいおいしくない味をしたコーヒーなのかもしれません。

だけど、まずい原因を即座に分析して、その検証結果とともに再発防止策を公に向けて発表したり、お客さんからコロンビアをもう少し多めにしてと言われて、お客さんのニーズにあわせたりするような「親しみやすい」コーヒー屋さんに、わたしはなりたいわけではありませんでした。同時に、なろうともしてみたけど、かえって余計、親しまれなくなってしまいました。

自分でも、分からないから書いていく。そこでもやが晴れたように、自己啓発本のような爽やかな酸味でもって誰かを短時間ですっきりともさせないかもしれません。ですが、少なくとも自分にとっては、分からなくて書く前よりかは、いくぶんかはましに分かるようになるという価値を持っています。

分かりやすく伝えるためだったら、わたしは書きません。その前に、わたしは分からないわけだし、分かりやすく伝えることにたけた人は、しかるべき場所にすでに集まっていて、その人たちはその人たちでがんばっています。

それでも、おいしいコーヒーへのあこがれは続いていきます。分かりやすくなくて、親しみやすくはないけど、でも飲みごたえがあるコーヒーの味を知りたくて、でもその味がまだ分からないから、書いていきたいと思っています。

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 やっぱこれ好き