発達障害だったわたしへ

自閉症と虐待サバイバー/光はまだ、こそばゆいけれど……書いて見つめて生きていく/元全国紙記者/半分未練、半分隠居なう

浅瀬でさえわめきながら溺れる人間……それはわたし自身だった

昨夜、ツイッターを眺めてたら、自民党の女性代議士(42)が秘書に浴びせたとされる「絶叫暴言」「暴行傷害」の生音声があがってきて、どんなもんかなと思って聞いてみたんです。

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思ったよりすごかった、という率直な感想もさることながら、聞きながら、どこかとても心当たりのあるかんじをおぼえてしまったんですね。なんなんだろう、このかんじ。うーん……って思ってたら、これ、溺れていたとき真っ只中の、かつての自分だ、って気づいたんです。

そんなことをつぶやいたら、フォロワーの数が突然ガクンと減りました。かれこれツイッター歴7年、ふだん、朝起きたらひっそりフォロワーが減っているという分には、さほど気にはならないんです。

だけど、なにかをつぶやいた瞬間にガクンと減るのって、仮にそれがどうでもいいことだとしても、木綿豆腐くらいのメンタルは持ち合わせていたって、まあこたえるものがありました。

フォロワーは、一部の友人をのぞいて、ほとんどが面識もない人たちだというのに。まあ、ツイッターをやっている人ならあるあるなお話です。

なぜそんなエピソードを書いたかというと、そうやってわたしはあのとき溺れて手足をじたばたさせながら、フォロワーではなくて、リアルなたくさんの身近な人や大切な人との信頼関係を失ったなあということを思い出したからです。

もちろんその前に、言っておかなきゃいけないことがあります。(この新潮さんの記事のとおりだとしたらですが)仮に、この「凶暴代議士」さんが病気だったとしても、だれかに身体的にも精神的にも傷を負わすということは、あってはならないということです。

だからわたしは、こんなこと思い出すのは胸がつぶれるくらいつらいと同時に、きっといつか地獄にいくだろうなと覚悟して、今日はこれからつづっていきたいと思います。

「凶暴代議士」と当時のわたしは、見捨てられスイッチの入り方がすごく似ていました。「叩くのはやめて」と自分の身を守るために当然にすぎない判断をする秘書にたいして、「お前はいつも叩いている、わたしの心を」という彼女のセリフは、生音声のなかでも、もっともわたしの心をぐっと抉ってきました。

これももちろんですが、代議士のことはあの録音テープ以上のことは知らないし、自分と重ねて彼女に同情したり共感したり弁護したり、ましてや誹謗中傷を拡散する目的で、このブログをやっているわけではないので誤解しないでくださいね(しいてなにか伝えたいことがあるとしたら、早く病院行って、ですね)。

いま思えば、あのとき溺れていた場所は、水深はそんなに深くはなかったのかもしれないし、わりと深かったのかもしれない。いずれにしても、いま思うのは、浅瀬でも溺れてじたばたしたり、泣きわめいたり、死んだりしてしまう人間もいる、ということです。

溺れている人間にとって、それが仮に浅瀬でも、死にそうでわらをもつかみたい必死な人間にとって、水の深さは関係ありません。「叩くのはやめて」と言われることは、見当違いもはなはだしい、溺れている人間を見捨てる行為に、溺れている人にとっては映ります。

そればかりか、見捨てられ不安を強化させる地雷ワードを、あの秘書はふんでしまっているのですが、一方で、溺れていない人間がそんなばかげた話に気づくことなんて、まずありえないでしょう。

だけども、そんな積もり積もった“普通”とのすれちがいが、溺れている人間にとっては<お前らは溺れている人間を安全な場所から見下ろして、わたしの心を叩き、迫害し、嘲笑っている>というロジックへと発展していくんだと思います。

けれども、そんな当事者にとっては理にかなった当たり前のロジックを言えば言うほど、誰からも理解されなくなって周りを遠ざけていきます。

見捨てられ不安が大爆発していた当時のわたしは、まさにそんなロジックによって、大切な人を罵り、傷つけ、すり減らせ、すべての人間関係を焼き尽くしていきました。

たとえばあるパートナーには、理解が足りないだの、わたしはお前の正義感を満たすための都合のいい道具じゃないなどと言いがかりをつけては、刃物を振り回したり、家中にある食器や調味料、家具、パソコン、電話、ファックスをすべて投げつけました。消火器も噴射させました。

別のパートナーは、そういうことがあるたびに、散らかったガラスの破片を、黙々とほうきではいて掃除する人でした。傷んだ床や壁を治すため、新しい壁紙など買ってきては黙々とこまめに修理し、なにごともなかったかのように振る舞う人でした。

彼にとって、黙々と処理することが、わたしをもっとも穏便に、身の安全を保ちながら、遠ざける方法だと最終的には判断されたのだとわたしは感じました。そしてわたしは、彼の前から姿を消しました。

これだけではすまされない話はたくさんあって、わたしは確実に地獄にいくと思うのだけど、そんなふうにわたしは、わたしに関わろうとしてくれる人たちの、体だけでなく、心にも傷を負わせたのです。これは立派な犯罪です。

同時に、思うのです。わたしはそれと同じ犯罪行為を母から受けて、母を憎み、軽蔑し、こんな人間になるまいと決意して、縁まで切ったはずなんです。なのになんで同じことをしているのだろうかと。

鏡を見れば母とは顔もそっくりで、ほんとうにわたしは、あの人の生まれ変わりのようになってしまった。そのたびにわたしはそんなふうになってしまった自分を呪い、自分を損なう行為を繰り返してきました。

だけど最近、そんなわたしに、わずかながら変化がおとずれました。

数年前から、母がわたしを生んだ年齢を追い越し始め、いまは、わたしが4歳のときの母の年齢になろうとしています。そうやって重ね合わせられる年齢になってきて、徐々にですが、最後に娘にすら捨てられた憐れな母もあのときわたしと似たような思いをかかえてしんどかったんじゃないかなあというふうに、いやでも生々しく考えてみる機会が増えました。

とはいえ、自分の子はもちろん、だれの体や心であっても他人によって損なわれることは、あってはならないことだし、そこは永遠に揺らぐことはありません。

母をゆるすというまでには、まだ程遠い道のりだけど、わたしにとって、母は母です。犯罪者を恨み続けて生きていくことは、犯罪者の自分も否定しながら生きていくことになってしまう。そんな悲しいことはないとも思うのです。

「凶暴代議士」の、まるで首を絞められたニワトリのつぶれたような叫び声を聞きながら、これはわたしの声なのか、なつかしい母の声なのかわからなくなっている自分がいました。

だけど、そんなゴシップ的な音声テープからでさえ、わたしはいくつになっても、母をゆるすための手がかりを、目ざとく探しているんだなあということにも、気づかされるのです。

浅瀬で溺れる人間を、なに浅瀬で溺れてるんだよと蹴飛ばして突き放すことで、わたしは母を憎もうとしました。だけど、いま振り返れば、そうすることで、浅瀬でじたばたするみっともない自分がいつまでも肯定できなくて、憎むことで、さらに苦しめていたのだと思います。そして、罪のない人間にまで一緒に溺れるよう巻き込もうとするという、地獄に落ちるにふさわしい悪事をはかったのであります。

この世でもっとも軽蔑していた、浅瀬でさえ、わめきながら溺れてしまうはた迷惑な人間は、まさに自分自身であったということ。それをまず受け入れることが、人間というものすべてにおける愚かさや弱さをも、受け入れられるようになる、まずは第一歩になるような気がするのです。

そしてそれが、地獄に行く人間にとっての、「生きる」という終身刑なんじゃないかと思います。 

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