発達障害だったわたしへ

自閉症と虐待サバイバー/光はまだ、こそばゆいけれど……書いて見つめて生きていく/元全国紙記者/半分未練、半分隠居なう

「境界性パーソナリティー障害は30歳になると落ち着く」説への疑問

ここ数日は、少し疲れてしまって、というかいつものことですが、突然電池が切れて、じわじわ充電して回復してくると、また一気に120%くらいを気づいたら使い果してしまい、バタっと倒れる……といったような状態です(イマココ)。

そういうときは、ほんとろくなことを考えませんね。

たとえば、あるとき何気なく同性の友達が「みーしぇるさんって子ども産んだら絶対子どもに依存しそう(笑)」って、ほんとーに何気なく言われたときのこととか思い出して、え?それどういうこと?って普段なんでも聞き返せるはずの自分が、その台詞だけは一回り下の彼女に聞き返すのだけは怖くて、いまだにリピートしては胸をちくちくさせてしまったり。

また、元同業の男友達に、それも同じように何気なーくな話の流れで「あんたは会社の一部を見てきたにすぎないのに、それで会社のすべて知ったように語るなんて、ちゃんちゃらおかしいわ」と偉そうに言われて、ああ、別の道に進もうとする人間をそうやって見下したりけん制することでしか、今の自分の立場を納得させられないつまらない会社員になってしまったのねと強気な無職になってみたものの、最終的にはそうやってなめられるなり薄っぺらい関係性を私自身が許してきたのも確かなのかなとかぐるぐる思ったら、もううわああああってなってしまって。

というように、このようにキリがないくらい、なにを考えてもろくなことない日というのがあるわけです。そういう日はあきらめて、寝て、臥せっているに限ります。お薬も飲んだら飲んだで特有の不快さもあるし、飲まなきゃでイライラする。かといってそれらすべてを打破できるような、強い意志や気合いでもって、筋トレするパワーもいまはなくて、せいぜい行列のできるラーメン店めぐりをして、明日からダイエットしようと口先で言って、またラーメンを食べてしまうくらいの毎日がちょうどよくて、それらの言い訳を清算してくれるかのように、本日ぎっくり腰ならぬぎっくり背中になりました。

死にたいくらい激しく生きたかった20代

前置きが長くなりましたが、もっとも不安定だった、20代のときとかは、そういう自分の習性がわけわからなくて、(もちろんその間にはいろんなプロセスがあったうえで)すぐ死にたくなって、衝動的に行為に及んでしまうくらい、あのときの私は生きたい気持ちが激しいくらい強かったのだと思う。おかしかったときの母そっくりになってしまって、顔つきにしろ、母の生き霊がついに乗り移ったかと鏡の前でぞっとしたぐらい。だというのに今は、死にたいと思いながら、生きていられるくらいには、感覚が鈍磨してしまったようです。生きたいと思っている人にほんと失礼で、申し訳ないとそのたびに思います。「死にたい」は「生きたい」の裏返しなどと言いますが、いまのイメージとしては、「死にたい」と「生きている」ということが、並列して別の場所に「置いてある」といったかんじでしょうか。

なぜこのような話をするかというと、実は私は、1歳半でお父さんがいなくなってしまったことや、子供時代の厳しい環境が影響しているのかいないのかはお医者さんのように簡単には言い切りたくないのですが、「お父さん」という存在を、すごくすごく求めてきたということは確かです。そのときどきで、互いの凸凹に惹かれ合い、頼り甲斐のある男性が現れては、猛烈に好きになって互いに離れられなくなってしまうくらいぴったり結合してしまうという、いま思えば未熟で互いに独りよがりな恋愛ごっこを繰り返していました。はいはい、2人で勝手にやっててくださいな、みたいな、どうしようもない系のやつです、はい。

その「お父さん」のなかには、蜜月の時期を過ぎると「自分を男として見ていたわけじゃないと分かって、がっかりした」と去っていく人もいました。また別のお父さんとは、決闘の末、真冬の川で互いの身を沈めあったこともありました。10代や20代の、朝昼晩セックスセックスみたいな同世代の男の子とは、ひたすら合わせることへの疲れしか感じられなくて、お父さんという存在への絶対的安らぎは、私にとって不動のものだと思っていました。

「お父さんX」との出会い

この話はまだ、自分のなかで落としきれる時期になってないので、バイアスがかっている部分もかなりあると自覚しています。文章も乱れまくりですがお許しください。何人目かで出会ったこの「お父さんX」は、キャラクターでいえばレ・ミゼラブルの主人公ジャンバルジャンのような「正義感」が強くて、エネルギッシュな印象を、出会った当初の私は受けました。

お父さんXは、ジェットコースターのように乱高下する不安定な私の感情を理解しようと、当時こじれまくっていた私と母親双方の間にすすんで入って何百時間と話を聞いたり、私を生涯かけて支えていきたいからと、よくなるための接し方を学ぶため、仕事を休んで精神科カウンセリングに2週間に1度のペースで数年ほどは通っていました。

また、まだ「毒母」という言葉がなかったころ、母娘関係にかんする海外の文献や国内の専門書、境界性パーソナリティー障害(という診断名でお父さんXが通っていた病院では勝手に扱われていたけれど、今振り返れば、これはお父さんXと私との関係性における固有の症状だったと認識している)についての本などをかたっぱしから集めて読んで、私を理解しようとしました。

「境界性パーソナリティー障害は30歳になると落ち着く」説への疑問

お父さんXが受けた臨床心理士の方の話や文献などによると、どうやら「ボーダー(境界性パーソナリティー障害)の症状は、誰もがだいたい30歳になると自然に落ち着いて快方に向かう」というのが定説になっているようだった。お父さんXはそれをしきりに話しては、私を励まし、支えて(結果的にこのことが支えられなくしてしまった)くれました。

それから7年が過ぎ、ついに私はその30歳というのを迎えました。ちなみにいま34歳で、まもなく夏に私は35歳になります。

たしかに、30歳を過ぎたあたりで、私はあの麻疹のような症状はなんだったのだろうというくらい、先述したように「死にたい」という感情を別の場所に置いておきながら、並行して「生きる」という行為をしているくらいには、器用になっていきました。いや、「器用」という言葉には語弊があります。さっきも書いたけど、私はそれを「落ち着いた」「快方に向かった」とは決して思っていないのです。ただ、生きることへの感覚が、鈍磨してしまったんじゃないかなと。

いまも「死にたい」という気持ちが、意図するわけでもなく、1日に何回かふっと頭をもたげてくるのだけど、そんなとき、私は目を閉じて、いま私は死にたいと思っている……死にたいと思っている……思っている……と最低3回は頭の中で唱えてみる。するとたまに、青りんご色の光がぱちっと点滅することがあるのだけど、あれなんなのかな?これが悟りってやつなのだろうか。

話をもとに戻すと、巷の文献とかで語られてる「境界性パーソナリティー障害が30歳で落ち着く」という定説について思うのは、ほかの手に負えない子どもの非行や暴力なりの‘問題行動’にもいえることだけど、これは、当事者に迷惑こうむってたり支えたりする家族や関係者、恋人、治療者側の視点から語られているということです。

お父さんXも、いやー、あのときはどうなることやらと思ったけど、やっぱ30過ぎると落ち着くってのは本当なんだなあ、よかったよかったと、すっかりおとなしくなった私を前に、うっとりと語ったものでした。

だけど私はそのことに対して、本当のところは、どうやらずっと違和感を持ってきたようだということに最近になって気付きました。実際、私は、30歳ぴったりになって「落ち着いて」いきました。それは、お父さんXへの諦めを意味していました。また、30歳という区切りという「大義名分」を掲げなければ、己に白旗をあげることすら許してあげられないような、そんな一見、強そうでもある弱さから、彼を解放してあげなければと思ったのです。彼の人生にとって、私は無害でいなきゃいけないと思ったのです。

当事者から語られることがない30歳問題

このように、実際のところ境界性パーソナリティー障害のようなタイプの当事者(誰が当事者かという話は、今回は置いておきます)は、30歳になる頃には、だいたいの周囲の人間関係を焼き尽くしてしまっていて、無力化して生きるしかなくなってしまうケースが多いように思います。それが結果的に30歳がひとつの節目だ、というのなら私もわかるんです。一方で「支援者」という立場にいる方は、その表面的だけの、まるで憑き物が落ちてしまった落ち着いてさっぱりとした当事者の様子に、快方に向かったのだとひと安心します。

だけど、当事者からみたら、30歳の節目というのはどう語られるのかということも、知りたかったりしますです。