発達障害だったわたしへ

自閉症と虐待サバイバー/光はまだ、こそばゆいけれど……書いて見つめて生きていく/元全国紙記者/半分未練、半分隠居なう

自閉症さんの永い言い訳(4)

このブログを始めて、どこがどう発達障害で、自閉症だとかさっぱりわからない、とか、診断がおかしいんじゃないか、といった指摘をいただいた。私も、どこがどう発達障害自閉症なのかを説明しろと言われてもうまく説明できない。どういう基準にあてはまったから障害者に認定されたのかも。正直なところ。

誰が見てもおかしい母親が、やっぱりおかしかったからじゃないか、虐待だったんじゃないかとか、それを知らんふりする祖母や、べらんめいで調子よすぎてアル中の祖父が母を甘やかしすぎてしまったのが悪いのかもしれない。あるいは、もともとおかしな家系で遺伝なのかもしれない。そういえば、てめーの無能さを世の中のせいにして被害者ぶるのをやめろとのご指摘もあった。

娘の私の視点から見れば、このようなストーリーだけど、きっと母からの視点や、祖父、祖母の視点では、まったく別の語られ方がされることだろう。

こういう話は、かならず犯人探しになる。だけど、繰り返しになるけど、私も含めて、よそから見たら著しく欠けたところがあったとしても、うまく機能していた時期もあるし、それからバランスが崩れて解散してしまったわけだけど、だけどそのバランスがうまくいくかいかないかという運にも近いところで、それが幸いうまくいったから障害がなかった、逆に、失敗したからといって、障害になってしまう、っていうのはちがうんじゃないかなと思う。

ただ、あなたのどこが発達障害自閉症なんですかという問いに対して、私が「世の中」ってものに接するときのベースのひとつに、祖父の死に目を自分の選択ではなく母によって奪われたという小学校4年生のときの一連の体験が、あるということです。

以来、人の死に目に立ち会うことやお葬式をあげるのは、かならずしも善だとか最優先だとは思わなくなりました。自分の死に目に何人来て、どれほど立派な人だったと悲しんでほしいかとか、病院じゃなくて在宅で死にたいとか、孤独死はさみしいことであるとか、葬式や墓をどうするかとかいうのは些末でくだらないと見下してこまんしゃくれることでしか、小4の小さい私はこの経験に落とし前をつけることができなかった。しばらくして、誰か大切な人との死に目にあえるかを気にする時間があるなら、たとえそれが家族であってもなくても、日々なにかと出会うその瞬間その瞬間を大切にするほうが、ずっと建設的だと思うようになったけど。だから、祖父にはとっくに私は、ありがとうさよならできてたし、それは伝わっているからこれ以上誰も責めなくていいよと、私は自分をなぐさめてあげた。

同時に、そんなお茶の出がらしのような、いびつな諦念をした子どもに小4にしてなってしまったからか、ゴミの分別をばからしいと思うようになりました。どうせ人は死んだらみんな土にかえるのに、どうして大人は分別なんかにいそしんでいるのかとクラスの学級会のテーマにあげたら、頭のおかしな子だと先生から却下されました。こういうかけ違いが、分別もできない、ゆえに部屋の片付けもできないだらしない子という勝手なイメージにひとり歩きしたりする。

そういう積み重ねがベースにあるから、社会生活を送るにあたって妄信的に信じられてる「普通」とか「常識」というのに周波数を合わせるのに、人よりちょっと時間がかかったり、よかれと思ってしたことが浮世離れした変なことを考えたりする人とみなされたりする。でもみんなその理由が分からないから、「発達障害」というのが世の中の人が一番多くの人が納得する理由なんじゃないかと思います。という説明にいきつくまでに、とても長くなりました。完