発達障害だったわたしへ

自閉症と虐待サバイバー/光はまだ、こそばゆいけれど……書いて見つめて生きていく/元全国紙記者/半分未練、半分隠居なう

発達障害の社畜が柵の外に出ると、本当に飢え死にするぞという話

こうタイトルを打っておいて、「社畜」という言葉は私は好きではありません。ちなみに「発達障害」もね。なんでもかんでも発達障害いうなというのも分かります。ごもっともです。でもなにかを伝えるときに、こういうラベリングすることもときには必要なので、ご承知おきください。

 

さっそく本題ですが、私は10年弱いた新聞社を辞めてしまったことを、ものすごく後悔している。申し訳ないことをたくさんしていた。そんなこと今さら言ってもしょうがないわけだけど、「漂流ステージⅢ」(イマココ)まで来て、その思いが日に日につのってきているのだから、そうなのだ。

 

新聞社やめると申し出たとき、総務の方が言ってくださった言葉が印象的だった。

「みーしぇるさんは、行く先々の部署で、記者としてはなばなしい成果を出してくださいます。でも、成果をあげるごとにバーンアウトして、リカバリーする時間が大変です。そうなったら、会社としては、みーしぇるさんには、記者としてははなばなしい成果は一切求めず、ずっと低空飛行で安定して働いていただくことをのぞみます。うちはリストラをするほかの大企業とちがって、みーしぇるさんを定年までクビにしたりすることは絶対しません。だから、会社からのお願いとして、低空飛行でこれからは働いていってほしい。そのための職場ならいくらでも用意するし、話し合いもする」と。

そのとき私は低空飛行って……と思った。「低空飛行」という言葉に、ものすごく反応したのだ。

このお方は、低空飛行をし続けるということがパイロットにとって、高く飛ぶよりもものすごいエネルギーがいることを分かって言っているのかと。ましてや、これからも人生の中で、半分以上はしめるだろう会社員生活で、定年までクビにしないからといって、なぜ私はこれからはずっと低空で飛んでいなければならないのか。

そのときの私は、自閉症だと言われていても、その世界が普通すぎて、会社から見たら私がどう見えて、どの点がお荷物になっているかまったく分かっていなかった。いまは亡くなってしまっった慶応大の先生からは、自閉症はあなたの病気でもなんでもなくて特質だから、あなたはその名前を知っていようがいまいが関係ない。あなたの世界を大事にすればそれでいいだけのことだと言われていた。

そして宝物のような1冊を薦めてくれた。「自閉症だったわたしへ」という、自閉症の著者ドナ・ウィリアムズという女性自身からから見た世界が、美しい言葉で描かれた本だった。

それをすべて信じていたわけではないけれど、一人の人間として、積極的に低空飛行するような人生を、ましてやそれを会社に言われてすることなんて、憤りしかかんじなかった。

いま振り返れば、定型発達のその人たちから見たら、飼っている羊のなかでもとりわけ足腰も弱い(と彼らにははっきり見えていた)羊さんが柵からで出たら野たれ死ぬのは明らかだからここにいれば安心だよと、何度も言って心配してくれていたし、これからはもうあなたのペースでやればいいからと、そうやって飼い主が言ってあげれば、フツーの家畜としてはホッとするだろうと考えたのだと思う。

だけど、そのときの私にとってはその厚意、心配こそが、「低空飛行」という言葉が、だからやめなきゃいけない、やめよう、柵から出なければ私はだめになってしまう、早くこんな柵からでなければ、自分からここを去らなきゃだめだ、という思いを決定的にしてしまう意味しかもたなかった。

でも「漂流ステージⅢ」のいまになってみて、その言葉がどれだけありがたいことだったかと思う。柵を出てからというもの、嫌なら出てけと追い払われはしても、こんなことを言ってくれる会社も、居場所も、人も、どこひとつないと知った。そういう意味では私の見え方は歪んでいたし、甘えていた。

 

「ステージ1」で北東北の山間部に住み始めたときは、柵の外の空気を初めて吸うって、こういうことなんだなと思った。それから1年半後、村八分になって、お金も底をついたとき、障害者年金と生活保護のセットというのが、漂流貧困者がホームレスにならない王道プランだと、福祉関係者や役場の人たちから申請を強くすすめられた。

だけど私はまだ、自分が漂流している貧困者だなんて、そんな尊敬もできない人たちから言われるのはプライドが許さなかったのだろう。また、柵から出た自分の決断が間違っていなかったんだと証明したい強い思いが残っていたようだ。

元会社同期からも、このままいくとホームレスか練馬の武蔵関の高架下アパートで孤独死だと筋書きは見えているぞと。それはまるでおれたち社畜をばかにしたからそんなふうになるんだぞ、ざまあみろと言われてるようで悔しかった。同時にそれは、それぞれが、それぞれの人生を選択して、「これでよかったんだ」と言い聞かせながら、必死に毎日を生きようとしていた裏返しでもあった。でも、自分もたしかに映画「嫌われ松子の一生」の結末みたいなのが浮かんできているのが否定できなかった。

どうしてこうなっちゃったんだろうと悔しいのと、どいつもこいつも私をばかにするなと、って気持ちとかも原動力になって、私は再び柵に戻る決心をした。ちょっと間違って柵から出ちゃったけど、やっぱりおとなしく柵の中に戻って、飼い主様のために働きますというのがNHKでの「ステージ2」。

だけどそんなちゃっかり柵に戻ってきて、ましてや別の牧場から脱走して迷子になったような足腰の弱い羊が、バリバリ飼い主に染まった頑丈な羊の群れに入っていけるほど、そこは生半可な王国ではなかった。

そしていま、「ステージ」とだけ表現していた頭文字に「漂流」が加わって、「漂流ステージⅢ」。私は、柵の中でも生き延びられなかった、柵の外でも生き延びられなかった。それでだんだん見えてきた自分というものがある。みんなが当たり前のようにできるからといって、自分もできるとは限らないという当たり前のこと。憧れと現実は違うということ。椎名林檎ちゃんの世界は理想でも、現実を生きるにはYUIの歌詞のように等身大の自分を受け入れる勇気が必要なこと。

先日、県立図書館で本を借りるため、カードを作ろうとしたけど、何度もカウンターの女性から「実家はないんですか?」と聞かれ、答えられなかった。入院中で身寄りのない無職は、ホームレス扱いされて、カードすら作れないことを知った。だったら、これからアルバイトかなんかしてお金をためて家を借りても、武蔵関のアパートを借りることすらできないだろう。そもそも地方でアルバイトしても、地方なら余計、実家が知れた身寄りのある不審者よりも、漂流者のほうがよっぽど不審がられるだろう。

なんだかんだいって、漂流者は東京の人混みに紛れているのがいちばんあやしまれなくて楽なんだと思う。だけどもう私は、どの柵の中にも入りたくても入れないことがわかっている。柵というのは、もっと広い意味で、結婚や家族、キャリアアップ、自己実現……そういう社会的に常識とされている価値観とかもろもろ。

これからのことを考えながら、これまでなにかの「柵」に入ることを軸に考えてきたけど、いい加減、こんどのこんどは柵で行きたくても行けないのではないかなという感じがした。目を閉じて「柵」を思い浮かべたとき、これからもずっと漂流し続ける自分がいた。

先日、園内で、デイケアみたいな施設の人たちがゲートボールをしているのをぼーっと見ていた。広い空に、芝生が広がっていて、そこにむつかしいルールはなかった。まだ、想像はつかないけれど、「柵」ではないなにかについて、私はいま、考えている。